[TNO] イデオロギー解説「社会主義」

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[su_accordion][su_accordion][su_spoiler title=”社会主義(Socialist)” open=”no” style=”default” icon=”plus” anchor=”” anchor_in_url=”no” class=””]

 

社会主義とは、その内容を尋ねる相手によって答えが大きく異なるイデオロギーだ。革命派や改革派、マルクス主義から理想主義に至るまで、今も昔も多種多様な思想を内包している。ただ一つ全てに共通する事は、「人民による人民のためのイデオロギー」だということである。

社会主義の主要な特徴の一つはもちろん、生産手段の社会的所有だ。この社会形態は時間をかけ漸進的に導入される場合と革命によって即座に導入される場合がある。社会主義体制の支持者たちは、これは一部だけではなく多数のためのより公平で公正な経済を実現するための一つの手段だと信じている。また、社会主義体制において職場民主主義の確立が重視され、労働者が彼らの事業運営に対して発言権を持つことは、彼らが選挙制であれソビエト制であれ政治の民主主義を重視することとしばしば結び付けられる。

社会主義はいつの時代も称賛を受け、同様に罵倒され続けてきた。それでも、彼らは進む。苦難を乗り越え、挫折を乗り越え、社会主義はほとんど衰えることなく歩み続けている。労働者を解放し、庶民を資本主義の抑圧から救うために。

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[su_accordion][su_accordion][su_spoiler title=”無政府共産主義(Anarcho communist)” open=”no” style=”default” icon=”plus” anchor=”” anchor_in_url=”no” class=””]

バルセロナの通りから中国の野原まで、アナーキズムはネズミのように粘り強く、頑固である。少なくとも表面的には、アナーキズムはヒドラのようなものに見えるだろう。アナーキストが殺され、投獄され、「消滅」するたびに、代わりにもう二人が出現する。しかし、なぜだろうか?

無政府共産主義は、マルクス主義や民主社会主義のような一般的な社会主義イデオロギーと対比される急進左翼イデオロギーであり、資本主義の悪と同義とみなす権力への強い反発が特徴である。また、大規模な工業化を嫌い、地域のコミューンや農場に生産を依拠することを好むことでも知られている。無政府共産主義者は1920年にウクライナでネストル・マフノが設立したウクライナ自由地区を筆頭に、一時的に権力を握ったことが何度かある。しかし、無政府共産主義社会は共通の目標の下で団結していながら、また他の殆ど全てにおいて分裂している。内紛、混沌、混乱は全ての無政府共産主義社会に存在しており、これが通常、彼らの没落につながる。

現代の無政府共産主義は、1800年代半ばにピエール=ジョゼフ・プルードンやミハイル・バクーニンといった思想家たちの活動から始まった。資本主義や人種差別、国家そのものに至るまで、あらゆる形態の抑圧を完全に破壊せんとする無政府共産主義者は、左派からは軽蔑され、右派からは嫌われ、政治的孤立の中に存在している。しかし無政府共産主義は、既存の体制から見捨てられた人々にとって希望の光となる。世界がどんなに暗く権威主義的になっても、必ず無政府主義者は陰に潜みながら「神も支配者もいらない」という叫びを実現する機会を窺っているのだ。

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[su_accordion][su_accordion][su_spoiler title=”キリスト教社会主義(Christian Socialism)” open=”no” style=”default” icon=”plus” anchor=”” anchor_in_url=”no” class=””]

キリスト教社会主義とは、イエス・キリストの道徳に関する教義と左翼イデオロギーの経済理論を組み合わせた全ての信条を表す包括的な用語である。この精神主義と唯物論の混合理論は一見矛盾しているように見えるが、それでも思想家や神学者はこの二つを統合することを止めようとはしなかった。彼らは自身を他のキリスト教徒と同じような敬虔な存在だと考え、宗教は革命という目標とは完全に相容れない「大衆のアヘン」であるというマルクス主義の信念を否定している。

多くの者が社会主義はキリスト教と本質的に敵対的であると主張しているが、キリスト教社会主義者は実際に相容れないのは資本主義であると主張している。彼らは資本主義を、強欲を奨励し慈善を非難する、全能のドルのカルト的偶像崇拝のようなものだと考える。彼らは聖書に目を向け、イエスが「人は神と富とに兼ね仕えることはできません」と言ったことや、初期のキリスト教徒がいかに「すべてを共有」していたか、財産を集団で共有していたかを指摘し、両方の見解を支持している。集団主義的な社会政策だけが、キリストの教えに忠実でありながら、社会の全ての人々を助けることができるのだ、と彼らは言っている。

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[su_accordion][su_accordion][su_spoiler title=”革命戦線(Revolutionary Frontism)” open=”no” style=”default” icon=”plus” anchor=”” anchor_in_url=”no” class=””]

革命戦線は、少なくとも理論上、社会主義、共産主義、無政府主義といった左派のさまざまな学派、系統、派閥の統一連合であり、社会主義を確立するための制度的・政府的権力を獲得することを目的としている。実際には、投票箱を通じた革命を信奉する民主社会主義者や「ブルジョワ民主主義」に嫌悪感を抱く権威的社会主義者など、社会主義の発展のために協力し、連携することが期待される様々なイデオロギーが意味されている。

このため当然ながら非常に支離滅裂な連合となり、実際の統治政策は内部の妥協か、特定の派閥が他の派閥に勝利した結果に基づいたものになる。一般的に革命戦線は、左派が連立という大きなテントによってしか政権を維持できないような場所や、そもそも左派政党が存在する能力を弱体化させようとする右派の脅威にさらされている場所でよく見られる。

革命戦線の指導者は、その基盤と同様に多様であり、戦線の創設者ではないとしても、戦線の存続に寄与している場合が多い。しかし革命戦線がその指導力を存続させられるかどうかは、政治的、(時には文字通りの)生存のために如何にイデオロギーの純粋性を犠牲にすることを学べるかどうかにかかっている。

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[su_accordion][su_accordion][su_spoiler title=”超先見的社会主義(Ultravisionary Socialism)” open=”no” style=”default” icon=”plus” anchor=”” anchor_in_url=”no” class=””]

人類は天空を見た時から、自らの立っている地からそれに手を触れることを夢見て、進化し、団結し、知識を極め、いつの日か己の実存的継承が果たされる日を目指してきた。多くの者は共産主義こそが人類の革命の次のステップと主張してそれで満足しているが、超未来主義者はその月桂冠を得ただけで満足することはない。

共産主義と科学に重点を置く超未来主義は、社会主義を次の一歩というだけでなく、人類進歩の次の段階の一側面、すなわち学問としての科学と自然法則が完全に一体となったものと見なす。

星は遥か遠くにある。だが、前を見る人には、限りなき栄光が待っている。

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[su_accordion][su_accordion][su_spoiler title=”土地社会主義(Agrarian Socialism)” open=”no” style=”default” icon=”plus” anchor=”” anchor_in_url=”no” class=””]

都市のプロレタリアを革命の原動力とするマルクス社会主義とは異なり、農民を革命の最前線に据えるのが土地社会主義である。

その理想とする社会は、地主階級に代わって人民が土地を所有するという農村的社会視点に基づくもので、工業化の遅れている未開発国家において人気がある。土地社会主義は、社会主義的経済システム、生産手段の集団所有とともに、農民が自身の労働の成果の収穫が最終的には確実に自身のためになることを知っているために、幸せに労働に励むことができるという農業的ユートピアを実現することを目指している。

しかし、注目すべき重要な点として、土地社会主義が本質的には革命的なイデオロギーではないということがあげられる。実際これは銃の銃身を通してに限らず、投票箱を通しても力を得ることができるものであり、そのため支持者に対し非常に幅広い適応性を持つイデオロギーとなっている。もちろん批判者がいないわけではない。左派は、工業化なしに社会主義や真の平等は達成できないと主張しており、右派は、社会主義の利点に対して頭ごなしに反対する、より「伝統的」な批判と同じ主張をしている。

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[su_accordion][su_accordion][su_spoiler title=”サンディカリズム(Syndicalism)” open=”no” style=”default” icon=”plus” anchor=”” anchor_in_url=”no” class=””]

社会主義とは何であるか?それを端的に表すならば、直接的、または国家を通じて、労働者が生産手段を所有することである。それでは、労働者がゼネストという革命的行動によって社会と経済の支配権を資本家階級から奪取し、中間業者を介さずに労働者自身から直接構成される労働組合を基礎として新たな社会を建設するという考え方であるサンディカリズム以上に純粋な社会主義があるだろうか?

サンディカリズムは、資本主義体制に対してストライキ、生産妨害、デモなどの直接行動を起こすことを主張し、資本主義下で生活する労働者の条件を改善して、最終的には資本主義を打倒することで完全に取って代わろうとするものである。十月革命の成功やその他の要因によってサンディカリスト運動は衰退し、疎外されることとなったが、決して真の意味で消滅したわけではない。おそらくいつの日か新しい世代のサンディカリストが、1900年代初頭の過激派や破壊活動家たちが行ったように、ブルジョワジーや政治家の心臓に恐怖という杭を打ち込む日が来るかもしれない。

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[su_accordion][su_accordion][su_spoiler title=”汎アフリカ主義(Pan Afrikanism)” open=”no” style=”default” icon=”plus” anchor=”” anchor_in_url=”no” class=””]

20世紀初頭に突如として興隆した汎アフリカ主義は、イギリス、フランス、ドイツ、その他数十ヶ国による長年にわたるヨーロッパの圧政による産物だ。この思想の支持者は社会主義であれなんであれ個々のアフリカ国家を否定し、代わりにヨーロッパの植民者に対し真に立ち向かうためにはアフリカは一つの旗の下で団結しなければならないと説く。政治的スペクトルの左端に落ちた汎アフリカ主義は、反帝国主義の強調や、ヨーロッパがかつて「暗黒大陸」と呼んだ汎国民的なアイデンティティへの頑固な固執などの前衛的な姿勢によって、片割れであるアフリカ社会主義と容易に区別することができる。

その支持者は主に西アフリカ(特にカメルーン)やANCの主要な党員として南アフリカで見られるが、その思想はケープタウンからカイロまで、さらにはアメリカやカリブ海地域の黒人社会までも浸透している。この地域に関心のある人間は、意欲的で、怒りっぽく、積極的に影響力を拡大しようとする汎アフリカ主義者に目を光らせておくべきだろう。

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[su_accordion][su_accordion][su_spoiler title=”バアス主義(Baathism)” open=”no” style=”default” icon=”plus” anchor=”” anchor_in_url=”no” class=””]

「単一の民族、永遠の使命を担う」

ミシェル・アフラクとザキー・アル=アルスーズィーが提唱したバアス主義は、革命的なアラブ民族主義運動であり、外部の抑圧者に対する革命によってアラブ世界全体に「復興」を起こすことを目的としたものである。バアス主義のイデオロギーとは、汎アフリカ主義とアラブ社会主義、世俗主義の概念を組み合わせ、信仰や地域に関係のない、革命闘争を通じたアラブ民族全ての動員とその後の統一を目的とする思想的基盤である。

バアス党はアラブ民族の普遍的な先導者として機能し、生活のあらゆる側面に復興をもたらすため、発展を加速させる。彼らの表向きの目標はアラブ世界に適した状態での進歩、自由、アフラクによって定義された社会主義であり、その近代化と進歩への献身は、外国支配のみならずアラブ世界における全形態の封建的な貴族の反動に対する党の反対を意味する。バアス主義的感覚における自由は革命を破壊する可能性がある自由議会制民主主義を必ずしも意味せず、社会主義はマルクス主義的な階級闘争の概念を植民地主義に対する国家間闘争に置き換えている。「アラブ社会主義」は復興に到達するための主要な手段として考えられているが、それは究極の目的ではない。\n\n実際には、中東全体のバアス主義政党の思想的な純度は信じられないほど多様で、地域の文化や伝統、さらには海外の政治理論の流入と本質的に結びついている。バアス主義運動による政策の範囲は、ある支部が行う横暴な軍国主義からある支部が約束した代議員制民主主義や社会主義まで、多岐にわたる。彼らの唯一の共通の目標は、大西洋からアラビア湾にまで広がるアラブ国家連合の創設である。

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[su_accordion][su_accordion][su_spoiler title=”左翼ナショナリズム(Left Wing Nationalism)” open=”no” style=”default” icon=”plus” anchor=”” anchor_in_url=”no” class=””]

東洋から西洋まで、最も発展した国家から最低レベルの国家まで、新時代の新たな政治の潮流、左翼ナショナリズムは発生する。平等、階級意識、社会主義的近代化といったその左翼的な理想を支持し、信じる者は、このような考え方を自決や独立の要求として明確に形にすることで、帝国主義に挑戦することを目指す。左翼ナショナリズムの支持者は、社会主義による動乱を帝国主義者の妨害や社会での影響力と戦うための武器に変える。冷戦期において、左翼ナショナリズムは「革命的な傾向の主義」や「改革的な選挙主義」などの多様な扱いを受けており、ヨーロッパからアジア、アフリカからアメリカまで、様々な層に支持されている。このような幅広い受け止められ方にも関わらず、支持者全てに共通する考え方がある。それは、ナショナリズムは決して社会主義や社会主義的政策と共存できない訳ではなく、自決や政治的独立は自由と平等を達成するための必要な一歩であるということだ。

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[su_accordion][su_accordion][su_spoiler title=”ゲバラ主義(Guevarism)” open=”no” style=”default” icon=”plus” anchor=”” anchor_in_url=”no” class=””]

キューバ革命に加わった多彩な人々の中で唯一フィデル・カストロに匹敵する国際的名声を得ることができたのは、アルゼンチンのマルクス主義者として知られるエルネスト・「チェ」・ゲバラであり、彼の思想として知られているのがゲバラ主義である。

現在、ゲバラ主義は、共同革命委員会とゲバラを船主像として結集したことを特徴とする多種多様な左翼運動を指す。主流派の共産主義思想を完全に捨て去ったゲバラ主義は、マルクス主義革命を組織するために設立された前衛党の必要性を真っ向から否定している。代わりに、キューバ革命におけるチェ自身の実体験をもとに、小さく足の速い武装集団によって自身で前衛を行う。農民階級で生まれる不満、宣伝、ゲリラ戦を通じて、反乱軍は腐敗した寡頭制の政治制度に十分な圧力を与え、民衆を武装反乱に駆り立てるだろう。

ゲバラ主義の基本的な統一信条は、正当派の都市労働者、武力闘争、国際主義、十分活力のある武闘派ならそれだけで成功を収めるであろう革命的意思よりも、農民や農村を重視するものだ。ゲバラ主義はラテンアメリカでの左派革命思想の主流派としておおむね成功を収めたが、その国際性ゆえ正式な教義というものが欠けており、結果、委員会に結びついた組織内には多くの不一致が存在するのである。

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[su_accordion][su_accordion][su_spoiler title=”ナセル主義(Nasserism)” open=”no” style=”default” icon=”plus” anchor=”” anchor_in_url=”no” class=””]

極めてシンプルかつ不正確な表現をすれば、ナセル主義とはガマル・アブドゥル・ナセルのイデオロギーである。あらゆるイデオロギーは提唱者の行動によって定義されるが、ナセル主義の場合はその一定の柔軟性、そして厳格な解釈が存在しない点を特徴としている。その上で、ナセル主義の中核は三つに分類される。

第一に汎アラブ主義である。帝国主義列強の侵略からの自衛のため、中東にまたがるアラブ共和制諸国家の強固な連合を目指している。ナセル主義の掲げる汎アラブ主義の特徴として、その世俗的性格を挙げられる。イスラム教やキリスト教、ユダヤ教といった宗教色の強い各地のイデオロギー対立の棚上げも言及されることがある。ナセルはたとえアラブ民族以外の勢力でも、それが中東地域全体の防衛に資するのであれば、イデオロギーをあまり重視せずに支援する。

第二は社会主義の推進、そして共産主義の拒絶である。共産主義はアラブの伝統にそぐわないとして、ナセル主義者たちは共産主義を掲げる人物や政党を弾圧している。その一方でアラブ社会主義については流動的に解釈している。その最たるものは反資本主義のスタンス、そして積極的なエジプト資源の国有化だ。

そして第三が反帝国主義だ。突き詰めるとナセル主義の根幹はこれであるとの意見もある。ナセルは非常に強い反帝国主義スタンスを掲げており、これはエジプトが国外に介入する際の根本的動機であり、国内では熱烈な支持を集めるポピュリズム的スローガンにもなっている。

こうした大まかな特徴があるとはいえ、それでもなおナセル主義は極めて緩やかなイデオロギーであり、解釈を限定する「正統派」とでも呼ぶべき思想が存在しない。そのためエジプトなりナセル自身なりの状況が変われば、ナセル主義もまた時代の要請に合わせて変化していく。”

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