※指導者のヴァグネルとヴェリミールは除く
アーリア同胞団の人物は史実では何かしらの問題や犯罪歴があるものが多いので紹介していく。
バルドゥール・ゴルツ(ニコライ・イワノヴィチ・ククシュキン)
(1923年6月3日~1995年11月2日)
赤軍の一員として大祖国戦争に従軍。第2航空軍第143親衛襲撃機連隊所属の編隊長などを歴任し上級中尉まで務めた。
1947年に師団付政治委員ヴィノグラードフ中佐によりハンガリーのパーパ・フェレンツ広場にて、ハンガリー人の女性を連れていた状態で発見される(当時、現地市民との不必要な交流は非常に重い罪と見なされ、最も軽い処分でも「ソ連邦本国送還の後に除隊」と定められていた)
酔っていたククシュキンは口論の末に中佐を射殺し、自らも銃で頭を撃って自殺を試みた。が未遂に終わった。
その後は犯行を否認。
「駐屯地での勤務を終えてヴィノグラードフと共にフェレンツ広場に向かったところ、何者かの襲撃を受けたが、自分は後頭部を殴られ気絶していたため何も覚えていない」と主張した。
1948年3月9日、第2航空軍軍事裁判所は懲役25年の判決を言い渡し、ククシュキンはクラスノヤルスクの鉄道キャンプでの労役に付くこととなった。
1947年10月24日20時30分、パーパのフェレンツ広場にて、泥酔し攻撃的になった彼は、ピストルでビノグラードフ中佐を3発銃撃し、その負傷のため中佐は40分後に死亡した。ビノグラードフを銃撃した後、ククシュキンは自らの頭を撃ち、歩道に倒れていたところを現場に急行した警察官によって確保された。
1948年11月4日、ソビエト連邦最高会議令のもと、ソ連邦英雄の称号と勲章等が剥奪された。
1954年6月19日、最高裁軍事委員会の決定に従い、懲役は10年まで減刑された。その後1956年には釈放された。
釈放後はクラスノダール地方に住み結婚して子供ももうけていた。1995年11月2日に72歳で死去。
親類の中には名誉回復を求めるものもいたが当局は拒否している。
フェリクス・シュナイデル(ニコライ・イワノビッチ・マリシェフ)
(1911年11月26日~1973年10月13日)
戦時中は海軍の一員として潜水艦の司令官を務めた。1941年6月から1944年9月まで26回の戦闘を行い2隻の輸送船と1隻の上陸用運搬船を撃沈した。
1944年5月16日、「クリミア解放のためのナチ侵略者との戦いにおける司令部の戦闘任務の模範的な遂行と示された勇気と英雄的行為」に対して、ソビエト連邦最高会議議令により、レーニン勲章とソ連邦英雄の称号が授与される。
1944年7月20日、3等大尉に昇進した。
1950年3月12日、12歳の息子が最初の妻から引き離され死亡した。捜査の結果、毒殺はマリシェフとその同居人によって行われたことが証明された。
1950年7月、彼はクリミア地方裁判所から未成年者殺人と銃器不法所持の罪で懲役8年執行猶予付きの有罪判決を受けた。裁判所は、犯罪の発案者であり主な実行者は同居人であるとみなし、同居人は禁固6年の判決を受け、矯正労働収容所に送られた。
1950年12月11日、全共闘地区委員会の決定により、マリシェフは党から除名された。
1951年6月、彼は失踪した同棲相手を殺害した容疑で逮捕された。捜査の結果、彼女の遺体は発見されず、失踪に関与した証拠も発見されなかったが、捜査の過程で1950年の息子の死に関する新たな状況が立証され、この犯罪の組織者であることが示された。彼は加重事情を伴う計画殺人罪で起訴され、1951年9月8日、マリシェフはクリミア地方裁判所から軍人としての地位と国家勲章の剥奪を伴う禁固10年の判決を受けた。
1952年、ソビエト連邦最高会議令のもと、ソ連邦英雄の称号と勲章等が剥奪された。
その後は早期に釈放されチェリャビンスク、ヤルタに住んでいた。ソ連邦英雄の称号剝奪の撤回を何度も懇願したが失敗に終わった。
1973年10月13日、ヤルタで死去。
フィリップ・レマン(アナトリー・イヴァノヴィチ・シンコフ)
(1915年4月23日~1981年6月21日)
1942年12月以降、大祖国戦争の前線で、パイロットから第210突撃航空連隊の航空分隊長に昇進した(1944年7月以降)
トランスコーカサス戦線と北コーカサス戦線での戦闘作戦に参加し、北コーカサス、クラスノダール地方、クリミアの解放に参加した。
1944年の初めまでに、攻撃機IL-2で109回の戦闘出撃を行い、8台の戦車、50台の車両、27台の馬車、13門の銃、4つの倉庫、最大200人の敵兵を自ら撃破し、3隻の敵の運搬船を撃破。空戦では1機の戦闘機を撃墜した。空戦では1機の戦闘機を撃墜した。戦争中、彼は合計で134回の戦闘出撃を行った。
1944年4月13日、ソビエト連邦最高会議議長令により「ナチス侵略者との戦闘で見せた勇気と英雄的行為」に対して、レーニン勲章とソ連邦英雄の称号を与えられた。
1944年9月、彼はクラスノダールにある空軍の航海士の高等課程に学生として派遣され、1945年3月に卒業した。極東の第537攻撃航空連隊の飛行隊長として勤務を続けた。第1極東戦線で日ソ戦争に参加。
終戦後も北朝鮮での勤務を続けた…が。
1945年11月14日、酒に酔った状態で、19歳の朝鮮人少女に両親立会いのもと銃を突きつけて強姦し、アパートを強奪する事件を起こした。第9空軍の軍事法廷は、シンコフに7年の禁固刑と軍階級剥奪の判決を下した。
1948年10月26日、ソ連最高会議議令により、全ての階級と勲章を剥奪された。
1952年、釈放。
釈放後はモスクワに住み、衛生工場で補助製造責任者として働いた。
1957年3月16日、約3000ルーブルの国家資金横領と職権乱用の罪で再び禁固5年の判決を受ける。
1957年12月、恩赦を受け仮釈放された。
モスクワに定住。1960年からは血液学・輸血研究所の配管工、1970年からは機械製造工場「ストレラ」イリューシン設計局の機械工として働く。この間ソ連邦英雄剥奪の撤回を何度も試みていた。
1981年6月21日、死去。
ガブリエル・シュヴァルゼンバフ(ヴィクトル・ペトロヴィッチ・グラディリン)
(1921年8月29日~1967年5月27日)
1943年2月、労働者・農民赤軍に徴兵される。同年5月から大祖国戦争の戦線につく。1943年9月24日、中央戦線第60軍第24小銃軍団第112小銃師団第385小銃連隊第2大隊第4中隊の小隊長補佐のポストに就く。
1943年9月24日、グラディリン二等軍曹はドニエプル河強行作戦の際、同大隊の第一陣の一人として河を渡り、ウクライナSSRキエフ州ヴィシゴロドスキー地区ヤスノゴロドカ村の戦闘に参加し、その後部下と共に8回のドイツ軍の反撃を撃退した。
1943年10月17日のソ連最高会議議長議令により、「ナチス侵略者との戦いの最前線における指揮官の模範的な戦闘任務の遂行と勇気と英雄的行為」に対して、レーニン勲章を授与され、ソ連邦英雄の高位に叙された。
その後すぐに、グラディリンはモルシャンスク小銃迫撃砲学校に送られ、1945年3月に卒業した。第9予備小銃師団第381予備小銃連隊で小隊長として勤務。
1946年1月、第76衛兵空挺師団第327衛兵空挺落下傘連隊の身体訓練主任となる。
1948年12月、グラディリンは空挺軍事・政治学校の学生となった。
1949年3月、予備役として除隊しその後はクルスクに住んでいた。
1961年6月6日、クルスク市裁判所から、妻に対する加重事情のない計画的殺人の罪で禁固10年の判決を受けた。
1962年6月16日のソ連最高会議議長議令により、有罪判決に関連するすべての階級と賞を剥奪された。
1967年5月27日、死去。
トリスタン・シュミット(アレクサンダー・アンフィモヴィチ・シルコフ)
(1915年12月14日~1972年4月9日)
1936年10月から赤軍に所属。黒海艦隊で水兵として勤務。
1937年、ジュニア航空専門学校(セヴァストポリ)卒業。1940年11月まで黒海艦隊航空隊で砲手・放射線手として勤務。
1942年2月、イェイスク海軍航空学校を卒業し、パイロット教官として同校に残る。
1942年10月~1945年5月にかけて大祖国戦争に従軍する。バルチック艦隊航空隊第3衛兵戦闘機航空連隊のパイロット、翼長、副司令官、飛行隊長を務める。1944年5月までに141回の戦闘任務に従事し、32回の空戦で個人として14機、グループの一員として3機の敵機を撃墜した。
1944年7月22日、ナチス侵攻軍との戦闘で見せた勇気と英雄的行為によりソビエト連邦最高会議議長議令により、レーニン勲章とソ連邦英雄の称号を授与された。
戦争中、彼はLaGG-3、La-5、La-7戦闘機で190の戦闘任務に就き、40回の空戦で個人的に19機、グループで3機の敵機を撃墜した。戦後も海軍航空隊で勤務。
1947年、海軍航空高等士官課程を卒業。黒海艦隊航空隊で航空機飛行隊を指揮した後、北方艦隊航空隊で航空連隊の副連隊長を務めMiG-15とMiG-17ジェット戦闘機を操縦した。
1956年、海軍兵学校航空科卒業。黒海艦隊空軍の幕僚を務める。大佐(1957年2月28日、1961年に法廷判決により軍籍剥奪、後に復活)、1等陸軍パイロット(1953年)。
1960年8月27日、勤務不整合により予備役から解任される。
1960年9月10日、黒海艦隊軍事法廷で強姦罪により禁固10年の判決を受ける。
1961年1月19日、ソビエト連邦最高会議議長議令により、ソ連邦英雄の称号を剥奪される。
1961年10月、早期釈放されその後サキ(クリミア)の町に住む。
1972年4月9日、死去。
まとめ
まとめるとこうなる
バルドゥール・ゴルツ(ニコライ・イワノヴィチ・ククシュキン)
中佐を射殺
フェリクス・シュナイデル(ニコライ・イワノビッチ・マリシェフ)
息子と同棲中の相手を殺害
フィリップ・レマン(アナトリー・イヴァノヴィチ・シンコフ)
朝鮮戦争中に19歳の少女を強姦しアパートを強奪
ガブリエル・シュヴァルゼンバフ(ヴィクトル・ペトロヴィッチ・グラディリン)
妻を殺害
トリスタン・シュミット(アレクサンダー・アンフィモヴィチ・シルコフ)
強姦
コメント
最近同胞団興味あったからありがたい