概要
アトラントローパは、パノロパとも呼ばれ、地中海とコンゴ川を水力エネルギー源として利用し新たな移住地を作りヨーロッパとアフリカをより近づけるための大規模なテラフォーミング計画であった。
アトランドローパ計画で作られたダムは全部で4つ。
ジブラルタル海峡を横断するダム
ダーダネルス海峡のダム(地中海の水位を下げるため)
コンゴ湖のダム(アフリカの灌漑用水としてチャド盆地を満たすため)
シチリアとチュニジアの間(ヨーロッパとアフリカを結び、地中海を下げるため)
地中海の海面が200m下がり、サルデーニャとコルシカが統合され、シチリア島が拡大し、アドリア海の大部分が陸地となり、ギリシャ、マルタ、バレアレス諸島周辺の島々が大きくなり、地中海沿岸のすべての国の海岸が拡大された。
目的
大ゲルマン帝国は、イタリア帝国とイベリア連合を強制的に接近させ、アフリカのドイツ植民地をアトラントローパ計画で支援しようとした。アフリカとヨーロッパを陸路で結びヨーロッパの国土を広げることは、ドイツのレーベンスラウム(生存権)の野望を現実のものとし、帝国に多くの雇用とアフリカ植民地からの食料をもたらすと予測された。
効果
実際のところ、アトラントローパは大失敗だった。1950年代のドイツの経済危機により、この莫大な費用を要する計画は、大規模な資金調達の問題を抱えていた。
ジブラルタルダムは完成せず、シチリアダムも完成しないままだった。イタリアでは、当時のアドリア海から人を寄せ付けない塩の平原が広がっていた。農業には全く使えない土地であり、本来は価値のない土地であった。また、地中海の塩分濃度が上昇し、魚の死滅や個体数の減少につながった。地中海の海面低下と塩分濃度の上昇は周辺諸国の経済に打撃を与え、イタリア、トルコ、イベリア、およびその同盟国は統一条約から離脱し、三頭連合を結成するに至った。
アトラントローパで唯一有益だったのは、コンゴ湖の建設であり、これによりツェントラルアフリカ国家弁務官区はドイツにとって貴重な植民地となった。コンゴ湖はツェントラルの広大な農園を支え外国からの投資と輸送の拠点となっており、「アフリカの心臓」と呼ばれるようになった。
史実では
史実では28年から50年にかけてドイツ人技術者のヘルマン・ゼイゲルが提唱した計画だが実際に実行に移されることはなかった。
この計画はヨーロッパとアフリカの統一化計画であるが、アフリカの豊富な資源を目的としたヨーロッパによるアフリカ大陸支配計画という側面が強い。まずはジブラルタル海峡を塞ぎ止めその海水を全て排水したうえで沿岸地域の河川の淡水で地中海を湖にする。
サハラ砂漠で大規模な感慨計画を実行し緑化政策を進める(地中海の淡水はサハラ緑化計画で活用)さらにコンゴ川にダムを建設しコンゴ海、チャド海を形成、ザンベジ川にもダムを建設しヴィクトリア海を作り上げ、アトラントローパ計画が完成する。
連合国もアフリカの植民地に近づくための手段としてこの案を検討したが、戦後の復興費用や原子力の台頭、脱植民地化の始まりもありとん挫した。ジブラルタル海峡を堰き止めるという計画は今でも存在するが、それは水力発電に関するものがほとんどで、地中海の海面を変化させるという計画は皆無である。
10月のアップデートでアトラントローパは完全に削除される予定。
参考文献/画像引用元
The New Order Last Days of Europe Wiki
アトラントローパ – Wikipedia
Atlantropa – Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Atlantropa
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