共産主義(Communist)
共産主義とは、はっきり言って極端なイデオロギーである。共産主義は国家社会主義と並んで、20世紀を代表するイデオロギーの一つであると言っても過言ではない。しかし、そもそも共産主義とは何なのだろうか?
マルクスとエンゲルスの思想を受け継ぎ、レーニンの革命の遺産を主張し、生産手段の社会化と必要に応じた自由な分配に基づいて、無階級、無国籍、人間的な社会を確立することを目的としている。その信奉者たちは階級闘争の概念を固く信じており、ブルジョワジーを打倒し、プロレタリア独裁--労働者階級と国家が同義となる社会と政府--を確立することを目指している。
いくつかの運動は選挙制度を信奉しているが、共産主義のほとんどの系統は猛烈に革命的であり、「プラクシス」、すなわち直接行動を通じた革命の実現を粘り強く提唱している。この点において彼らは、意識的にレーニンを見習い、改革や妥協の見通しを拒否している。もちろん共産主義を批判する者はあらゆる方面に存在する。人間の本性は本質的に個人主義的で利己的であると主張する人々から、プロレタリア独裁を実現するために採用された手段を非難する社会主義者まで、共産主義には批判者が後を絶たない。しかし、それでも数多の「アカ」たちは戦い続けている。彼らは、世界中の労働者が団結すれば、失うものは自分の鎖だけだと知っているのだ。
左翼共産主義(Left Communist)
左翼共産主義者は、自らのイデオロギーを最も純粋なマルクス主義の教義であると主張しており、レーニンの死後起こった殆どすべての主要な政治的発展、さらには彼の生前に起こったいくつかの発展を拒否している。もちろん、マルクスとエンゲルスの著作に書かれているような教義に完全に縛られているわけではないが、その場での有効性を犠牲にしてでも、その精神にできるだけ近づこうとしているのだ。
議会政治を全面的に否定し、前衛政党組織とその民主主義的な装いに反抗し、革命を歴史的必然なものだと固く信じていることが左翼共産主義運動の特徴である。このような反ポピュリズム的な態度の堅持と実践よりも理論に重点を置く姿勢については左翼の同胞から少なからず嘲笑を受けているが、左翼共産主義者は歴史がこれまで彼らをどう扱ってきたかを考えており、しばしば「日和見主義者」と呼ばれる彼らのことを殆ど脅威と感じていない。
しかし左翼共産主義者は彼らに対する固定観念や批判のような、来るはずのない「有機的」革命を怠惰に待ち望んでいるだけというわけではない。彼らの準備とは、雄大な演説をすることよりも計画を立てることであり、銃を振り回したり空箱に立ったりすることよりも、学び、習得することなのである。知ることが戦いの半分であるならば、左翼共産主義者はすでに勝利している。結局のところ、それは単に時間の問題でしかないのだ。
軍政共産主義(Stratocratic Communism)
軍政共産主義は、状況とイデオロギー的衝動の両者から生じるものである。極左は伝統的軍隊に対する嫌悪感を持つ傾向があるが、ひとたび軍事組織が確保されればその感情は多くの場合消え去り、さらに言えば、そもそも最初から軍人が左翼を支持することを妨げるものは何もないのである。その種の人々の中には「理論化」という由緒ある伝統に甘んじる者さえおり、そして彼らの選んだ職業の精神とマルクス主義理論が融合し、他の急進左派が殆ど支持しないような新たな思考様式を生み出すことになる。その理由は、その教義を詳しく説明されればよく分かるだろう。
その最たるものが、軍人だけで構成される革命的社会主義政府の樹立である。反対派はこれを、革命を乗っ取ろうとする皮肉な権力掌握であり、修正主義的な軍閥に過ぎないとしている。これらの反対者は、(即刻処刑される前に)徴兵されたプロレタリアから成る軍隊は、必然的に革命の前衛になるという主張に直面することになる。さらに体制は、軍隊の永続的な優位性が社会主義の究極の勝利にとって最も重要であると主張する。それは、もしブルジョワジーを内部から打ち負かすことができないなら、抑圧された同志を力によって解放しなければならず、それを実行することになるのは国家の武装労働者であるからだと彼らは言う。
「修正主義者!」という叫びはさておき、この種の政権は依然としてイデオロギー的に動いており、単に「非政治的」あるいは「軍事政権」と表現することはできない。彼らは共産主義の原則に基づいた「プロレタリア独裁」による国家、社会、経済の絶対的な統制を主な目的としているのだ。それでも革命政府の基準からして、軍政共産主義は極めて強硬であり、異論を許さず、一切の躊躇なき攻撃性を発揮する。そこに文民指導者の居場所はなく、階級意識の高い労働者兵士からなる革命軍だけが、世界革命の伝播とブルジョワ帝国主義の破壊を確実に為すことができるのである。
毛沢東主義(Mao Zedong Thought)
共産党は日中戦争で敗れこそしたが、その創始者の一人である毛沢東の思想は消えていない。帝国の脅威が薄れるまで潜伏し、攻撃のタイミングを待っている。
毛沢東思想は、毛沢東が長征の最中、そして延安の基地で書いた文章に基づいたもので、農村を中心とする社会主義の要素を取り入れているが、それを単なる逸脱として唾棄するのは間違いである。革命的な土地改革と中国の実情に適応した新民主主義体制の確立を求め、革命闘争を遂行する最善の方法としてゲリラ戦のような「長期的人民戦争」の遂行を提唱している。
毛沢東思想はマルクス主義革命の自然な発展形であり、ボリシェヴィズムの次段階であると支持者は考えている。反帝国主義の原則は世界中で採用されており、あらゆる人民が抑圧者に対抗するために武装しはじめた。伝統的なマルクス主義思想に見られるこの新たな逸脱は、世界史にその足跡を残しはじめた。
アマゾナス主義(Amazonism)
ブラジル共産党の分裂をきっかけに誕生した新たな革命思想は、ラテンアメリカの社会主義を大きく転換させることとなった。大陸に存在する多くの共産党が選挙主義に走る一方、PCdoBのイデオロギー的指導者であるジョアン・アマゾナスは、共産主義者は資本主義体制を暴力的に打倒することを目指し、人口密集地から離れた農村で大衆的ゲリラ戦を行うなどして、長期にわたる「人民の戦争」を展開しなければならないとした。
正式名称を「マルクス・レーニン・アマゾナス主義」というこの運動は、ソ連崩壊後の思想的混乱に端を発し、失敗した中国革命の経験に部分的に触発されたものである。アマゾナス主義の信奉者は、資本主義勢力とのいかなる関係も反帝国主義の理想に対する裏切りの証とみなし、断固として拒否する。また、この路線に従う運動は、他の革命グループと協力し、帝国主義勢力を打倒するべきであるとする。しかし、アマゾナス主義は、経済的自立と外交的な孤立主義を志向するため、通常、他の派閥には不信感を持たれている。
アマゾナスは、前衛党のみが大衆を目覚めさせ、その意識を革命への熱意に向けて高めることができると主張し、分散的反乱というゲバラ主義者の路線を否定している。アマゾナス主義のグループは農村ゲリラの構築に重点を置くが、一般労働組合運動や組合組織に溶け込むこともためらわず、時には多くの組合官僚機構の頂点に立つこともある。この官僚的側面は、アマゾナスの熱狂的な支持者には矛盾であるかのように映るかもしれないが、このような二面性は右派の暴政と戦うために不可欠な要素なのである。
アラブ共産主義(Arab Communism)
中東における共産主義の歴史はロシア革命の時代にまで遡り、この地域の知識人、労働者、不満分子が、1917年には早くもこのイデオロギーを採用し、発展させていた。第一次世界大戦の戦勝国となった協商国によるオスマン帝国の切り崩しに始まり、第二次世界大戦後のファシズム的な枢軸国によって再び激変させられるなど、中東は20世紀初頭からヨーロッパの帝国主義的資本主義に押しつぶされ続け、直接的な形で非常に苦しめられている地域である。特に共産主義へ関心を持つのはこのような歴史的経緯があるからであり、多くの人にとって共産主義は帝国主義そのものに対する抵抗の核心を形成するものなのである。
帝国の支配下にあった世界の他の地域と同様に、中東の共産主義も草の根運動とアラブの知識人が伝統的なマルクス主義のメッセージとイデオロギーに地域独自の解釈を加えることで、独自の生命と特徴を持つようになった。
多くのアラブ共産主義者にとって、生産方式を単純に変化するだけでは十分ではなかった。アラブ共産主義は、外国の帝国主義に対抗するだけでなく、民族主義的な傾向を持つより保守的な地方の指導者とも争う必要がある。この目的のために、中東の都市労働者と思想家は、政治的・経済的変化と並んで、特に大衆運動と社会正義に重点を置き、アラブ世界の社会構造そのものの変化をしばしば要求する。アラブ共産主義は、単に独立と社会主義を求める社会主義的民族主義者から、外部の干渉や帝国主義の野心に対抗するための汎アラブ統一国家を夢見る者まで様々な運動や思想を包含しているため、これらの要求の程度や性格は国や政党、さらには思想家によって大きく異なっている。
民族共産主義(National Communism)
カール・マルクスが予言的な著作を書き残した時、彼は世界中の労働者が自由になり、ナショナリズムの抑圧は遠い記憶となるような、グローバルな共産主義の理想郷を想像した。この教えは何度も何度も説かれ、インターナショナルなどの様々な組織が成長し、左翼は全世界をその使命に取り込むようになった。そして、それは失敗した。ニコライ・ブハーリンがソビエト連邦を率いていた時、単一の社会主義国家--ソビエト連邦--は、世界を解放する前に反動に対して自らを強化することに集中するという「一国社会主義」という考えを唱えた。そして、それは失敗した。
しかし、国際主義は決して共産主義の唯一の宿命ではなかった。一部の派閥は、共産主義はナショナリズムの敵ではない、という国家的な問題に対する答えを提示していた民族共産主義に従った。民族共産主義こそ真のナショナリズムである。それは帝国主義と資本主義という国家を干上がらせ、亡き者にしようとする二つの悪魔から国家を解放する鍵なのだ。民族共産主義者は、ウクライナから中央アジア、アフリカまで、それを受け入れている国と同じように多様な存在である。共産主義国家の緩やかな連合を支持する者もいれば、より孤立主義的な者もいるが、民族自決、共産主義、反帝国主義という共通の信念によって彼らは団結している。
抑圧されている人々、奴隷にされている人々、帝国主義と資本主義の圧制に苦しむ全ての人々にとって、民族共産主義は暗く残酷な世界における希望の光となるのである。そして、他の共産主義者らの実験とは異なり、それは成功するかもしれない。
ボリシェヴィズム(Bolshevism)
ボリシェヴィズムとは、ソビエト連邦の事実上の指導者であった元書記長ニコライ・ブハーリンが自らのレーニン主義を体系化したものを指す用語である。資本主義の暴力的な打倒と革命的独裁を唱えながらも、前衛党内での社会主義思想の自由と政治的多元主義、多元的かつ国家介入が最小限の文化領域、共産主義社会の建設に対する慎重で落ち着いた教育的な姿勢を強調する。また、人々は自らの視点から社会主義を擁護できるようになるべきであり、社会主義を支持させるために強制や軍事的手段を用いることは非人道的で逆効果であると主張する。ソビエト連邦内では、この考え方はブハーリンと彼の共産党内派閥がNEP(新経済政策)の継続と農民による自営農業を物議を醸しながらも支持することにつながった。彼らは、強硬派が推進する強制集団化は「人民に対する戦争」に等しいと考えたのである。
1942年にブハーリンがヨシフ・スターリンによって失脚し、続く3年間で連邦が完全に崩壊したことで、ボリシェヴィズムは不明瞭な立場に立たされた。スターリンの周辺人物や彼の遺産を主張する残存する軍閥は、連邦の戦争での壊滅的な敗北やその結果として起こった大惨事は、ボリシェヴィズムの相対的な自由主義が引き起こしたのだと非難する。しかし、この主張はこの分野の歴史家たちによって広く否定されている。国際的には、多くの共産党が依然としてボリシェヴィズム原則に固執しているが、選挙主義的な準改革派から多元主義をさらに重視する急進的な左翼共産主義派まで、さまざまな方向性が存在している。
マルクス=レーニン主義(MArxism-Leninism)
かつてのソビエト連邦ではレーニンの後継者の座をめぐって数多くの人物が争った。その一人がヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリンだ。彼はブハーリンの掲げる「一国社会主義」には賛同していたが、市場主導型の「新経済政策」による開発には反対していた。国家が経済を全面的に管理し、急速な工業化と農業開発に弾みをつけるべきである。これがスターリンの考えだった。民間企業は完全な社会主義国家の発展にあたっては全く信用できない。したがってソビエトが目標を達成するためには、全ての工業と農業を集産化し、また共産党の中央計画組織が指導すべきである。この政策の必然的帰結として、ソビエトは旧来のレーニン主義者が危惧していたような革命の衰退から免れ、国力は飛躍的に増大し、やがて共産主義社会へと完全な変貌を遂げるであろう。こうしたスターリンの考えは、ブハーリンなどから異端視された。やがて工場での悲劇的事件によってスターリンはこの世を去り、後継者争いはブハーリンが勝利した。
こうしてスターリンの思想は消え去ったが、やがて西シベリア人民共和国で再びよみがえった。戦前にブハーリンが西シベリアへと追放した無名のソ連官僚、ラーザリ・カガノーヴィチは共和国議長に就任し、マルクス・レーニン・スターリン主義を生み出し、その思想を広める使徒となった。カガノーヴィチは高らかに宣言した。スターリン主義の集産化工業開発によって、ロシアはドイツ工業を追い抜き、憎きドイツ人どもをベルリンまで押し返してみせる。さらにカガノーヴィチはこう続けている。スターリンの識見を学べば、ソビエト・ロシアはかつての栄光を取り戻すこともできる。ソビエト国家は絶対的権力を掌握し、ドイツ人、クラーク(富農)、内通者、階級の裏切り者などの敵に勝利すべきだと。
労働者主義(Workerism)
労働者主義はマルクス主義的自治主義としても知られているもので、1960年代初頭にイタリアで生まれた、相互に関連しあった運動と個人のネットワークを表すのに使われる用語である。レーニンの時代から共産主義者の間で流行していたマルクス思想の解釈を批判的に修正するマルクス主義知識人のグループが労働者主義の元々の中核であった。労働者主義の重要な考え方は、労働者階級の闘争は資本主義の発展に対する反抗であると説く従来の共産主義の考え方が、実際には逆であるということにある。労働者主義者によれば、資本主義の発展こそが搾取される労働者の闘争に対する反抗だというのだ。
したがって、労働者階級は発展の「負のエンジン」であり、よって全ての革命的戦略は、ブルジョアに協調的な組合からの干渉を受けず、もちろん搾取的な前衛党からも干渉されず、労働者階級自身から生じ、それによって推進されなければならない。それに加えて、労働者階級は「進歩的」あるいは「共感的」なブルジョアジーとのいかなる同盟も拒否すべきである。労働者階級はそのような目的を達成するため、革命的暴力と草の根組織に重点を置きながら、自らの力に頼って権力を掌握しなければならない。共産主義イデオロギーに対するこのダイナミックで新鮮な考え方は、政治的・イデオロギー的熱意がまだ冷めていない若い学生や労働者の間で大きな影響力を持っている。
革命的バアス主義(Revolutionary Baathism)
バアス主義運動はその創設以来、アラブ国家を反動分子と封建分子の悲惨な影響から浄化し、アラブの復興とそれに伴った新たな革命的社会主義社会をもたらすための、指導的前衛党に導かれる人民革命の必要性を説いている。このようにバアス主義は、革命を重視している。だが、バアスの中には、この党の姿勢を穏健すぎると考え、バアス主義とマルクス主義のより過激な統合を主張する者も少なくない。
この「革命的バアス主義者」たちは、ミシェル・アフラクやサラーフッディーン・アル=ビータールの作品を、従来バアスに対する批判や抽象を行ってきた右派の視点とは対照的な、左派の視点から批判する。革命的バアスは、伝統的なバアスの視点を逆転させ、アラブ統一を実現するために利用される手段として社会主義を見る見方を放棄することとなる。代わりに、社会主義を実現するための手段として社会主義を見る立場を取り、アラブ革命と階級闘争の親和性を説いて主流派のバアス主義者が主張する階級協調を否定するのだ。
革命的バアスは、準レーニン主義的な政策の制定こそが、アラブ民族を革命の炎に包み、再生するために不可欠な存在だと考えている。それにより、二人の創設者がマルクス主義的弁証法を放棄したことを非難し、代わりにマルクス、レーニン、ブハーリンのような好戦的な革命家が持つ、急進左派政治家の理論から強く影響を受けた構想を説くのである。これが逸脱した急進主義であることは、階級や社会主義の定義をめぐり、党の知的な正統派と頻繁に衝突してきたことに最もはっきりと表れている。
トロツキズム(Troyskysm)
トロツキズムとは、世界征服している時であり、世界征服をすればするほどトロツキストに近づくのだ
調和共産主義(Harmonism)
かつてニコライ・ブハーリンは、破滅した男だった。20年の月日をシベリアのツンドラで過ごしながら、彼はどのように尋ねたらよいか殆ど分からない問いの答えを探し求めていた。ある運命の晩だった。彼は奇妙なクリスタルに偶然出会った。そのクリスタルは、彼にある一つの中心的な原則に基づいた社会を築くためのビジョンを与えてくれた。その中心的な原則とは:
トモダチは魔法。
調和共産主義は理想主義的なイデオロギーであり、ブハーリン主義の要素と、社会主義の社会を成立させるものである友情の実践という考えを融合したものである。調和共産主義の信奉者は、§C友情の魔法§!を信じており、それは任意の段階の社会におけるあらゆる衝突を熟慮と非暴力を通して、解決することができるとしている。このイデオロギーは、衝突が過去のものとなり、友情の力を通して、各人が幸福に共生するような社会を実現することに奮闘している。
調和共産主義を支持するものは、それでもなお階級闘争の存在を信じているが、暴力革命以外の方法によってそれは克服できるだろうと考えている。友情の力を通して、階級という壁を破壊し、労働者の苦難を平和的に熟慮することによって、プロレタリア独裁をより本来的な形に変換できる。これを、浮かれた非現実的な理想主義だとみなす人も多いだろうが、ニコライ・ブハーリンは彼のイデオロギーを驚嘆に値する成功と、疲弊しきったロシア市民を魅了することの両翼によって、証明してきたのだ。今に、調和と社会主義はロシア中に広まり、そして究極的には世界全体にさえ広まるであろう。
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