概要
名前:オリエ・モルドレル
名前(原語表記):Olivier Marie Joseph Mordrelle
生年月日:1901年4月29日(61歳)
役職:ブルターニュ共和国の指導者
国籍:ブルターニュ/フランス
所属政党:ブルトン国民党
イデオロギー:コーポラリティズム(Corporatism)
解説
統一条約とブルターニュ共和国の関係を表そうとすると……複雑である。ライヒの小さな同盟国という所が最大限控えめな表現かもしれない。元々フランスの自治区の一つであったここ土地で、モルドレルはブルターニュが戦争から月日が経ってもなおフランスの支配に置かれているという事実に気を揉んでいた。
ライヒが強制的にブルグントをフランスから引き剥がした時、モルドレルは機を見出した。あらゆる点でライヒに忠実であり続け、しかも 自由なブルターニュは老いているフランス国より遥かに有用だと提案したのである。ブルグントの成立から数週間経った後、フランスの存在しない30ヶ国会議でブルターニュの独立が宣言された。
50年代にライヒが困窮の時代に突入すると、モルドレルは来独間の禁輸措置があるのに関わらず海外から食料輸入を実施することを渋々決定した。最初はブルターニュを維持するために密輸入していたものの 、その内ライヒ国内で困窮する人々に食料を売りつけることに価値を見出した。開市場の拡大は止まらず、ドイツは段々止める力を失っていき、逆にその商品に依存するようになった。
十年後の今、ブルターニュはモルドレルを中心としたライヒの至ると ころに客輸品を行き渡らせる主要な貿易港となった。モルドレルはラ イヒを愛していると公言したことはない。それでも、ヒムラー率いる、 暗黒の軍団を遠退かせながら仕入れた食料にメディア、あらゆるル ートからの物資が、ブルターニュをモルドレルがかって思い描いたよ うに強くした。例え手段が多少予想外だったとしても…….
モルドレルは1939年からドイツと協力し、ドイツがブルトン人の独立を確保することを望んでいたが、その代わりにブルターニュはフランス国の自治区となった。シューツスタッフルの反乱の余波で騎士団領ブルグントができると、モーデルはチャンスとばかりにフランスからの独立を宣言したが、ドイツへの忠誠は貫いた。1950年代に帝国が崩壊し始めると、モーデルは海外から食料を輸入し、ブルターニュを維持するために違法に商品の密輸を始めた。10年後、ブルターニュはドイツに渡る違法な物資の主な港となった。
参考文献/画像引用
The New Order:Last Days of Europe
The New Order:Last Days of Europe Wiki
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