概要
名前:ミハイル・アンティピン(Mikhail Antipin)
名前(原語表記):Михаил Иванович Антипин
生年月日:1925年8月17日(36歳)
生まれた場所:チェリャビンスク州ロジェストヴェンカ村
役職:聖ゲオルギー騎士団の指導者(グランドマスター)
国籍:ロシア
イデオロギー:神権制(Theocrat)
解説
ミハイル・イヴァーノヴィチ・アンティピンは元々チェリャビンスクのごく普通の農民で、教育や哲学といったことより日々暮らすことに重点を置いていた。しかし、徴兵によって歩兵となり、機関銃手としてウクライナ戦線にて戦った。その優秀さからソ連邦英雄の候補にも選ばれた。だが、間も無くしてソ連政府は崩壊し、その栄誉を受けることもなかった。旅団の兵らは内部抗争を始め、彼は着の身着のままに逃亡した。
荒野を一ヶ月以上彷徨い、ガイヌィという町にたどり着いたアンティピンは、その町の神父に保護され健康を回復した。その間に彼は宗教に目覚め、ロシアを揺るがした悲劇、すなわちツァーリの失政やドイツ軍や十月革命やソビエトの暴政や飢饉、さらにドイツの再来はいずれも偶然などではなく、全て罰であることに気がついたのだ。ロシア国民が主を見放し、主はそれに対し罪の報いを与えたのである。
この啓示はアンティピンの人生に新たな目的をもたらした。彼はガイヌィとその周辺の村々から人々を集め、「聖ゲオルギー騎士団」の旗を掲げ、「真理の槍によって無神論の龍を串刺しにする」ことを約束した。騎士団はかなり小さいものの、この地区の人々に安定と精神的支柱を与え、周囲の狂人や異教を寄せ付けぬことが証明されている。
務士団長ミハイルは神の前にのみ跪き、いかなる人間にも務士団を従属させることを拒んでいるが、十分に敬虔である指導者を見つけ出したのならば、喜んでその大義に身を捧げ、部下を奉じさせるだろう。
史実では
1925年8月17日、チェリャビンスク州のロジェストヴェンカ村(現ウヴェルスキー・レイヨン)で、労働者の家庭に生まれた。ロシア語中等教育は未了でトラクターの運転手として働いていた。
43年3月より赤軍に所属。同年8月から大祖国戦争に参加し中央戦線、ベラルーシ戦線で戦う。
第10衛兵小銃連隊(中央戦線第13軍第6衛兵小銃師団)の機関銃手として年9月にベラルーシのゴメリ州ナロヴリャ地区デルノヴィチ村の東でプリピャチ川を横断して功績をあげた(2つの発射点を制圧し、2つの敵迫撃砲台を作動不能にした)
9月29日、敵の反撃を退けながら40人の敵兵と将校を討ち取った。
10月16日、ソビエト連邦最高会議議長令により、ナチスの侵略に対抗する戦線における指揮の模範的な遂行、示された勇気とヒロイズムに対して、ソ連邦英雄、レーニン勲章、社会主義労働英雄を授与された。
44年、ボルシェビキの全連邦共産党員となり戦後もソ連軍で活躍。
46年にモギレフ陸軍歩兵学校を卒業し、1953年にはモスクワ地区の上級将校養成課程を修了。59年から、予備役に就いていた。
その後はキーロフ州ヴェルフネカムスキー地区カムスキーに住み仕事をしていた。
晩年はチェリャビンスク市に住んでいた。
95年5月15日に亡くなった。
参考文献
Антипин, Михаил Иванович -Wikipedia
The New Order:Last Days of Europe Wiki
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