[TNO] イデオロギー:進歩主義

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進歩主義(Progressivism)

資本主義の行き過ぎに対する穏当な対応である進歩主義は、穏健な社会民主主義者と中道左派の進歩主義者からなるイデオロギーだ。これは、社会自由主義と社会民主主義の中間的な立場を意図するものであり、経済効率、適度な福祉国家化、社会正義に重点を置く。現実主義的で妥協を許さない進歩主義は、資本主義の良い面を生かしつつ、時間をかけてより人道的なものへと変化させることを重視する。

進歩主義は、経済を自由市場に任せる一方、その隙間から漏れ落ちた人々をすくい出すため、福祉国家を維持するものだ。経済的平等に焦点を当てるのではなく、機会の平等を阻害する制度的問題と闘うことを意図しているのである。人種差別、性差別などの「思想」は、弱者を保護することが政府の役目であると考える進歩主義者の大敵である。

経済的に進歩主義は、政府管理は非効率的であり、公衆の監視のもとにある民間市場の方が、双方にとって有益なものとなると考える。その適用範囲は、インフラや医療、政府の基本職務に至るまで、多岐にわたる。このような効率化を通じて福祉支出を節約し、より良い生活の機会を得られるようにすることで、貧困を撲滅することが可能となるのである。

民主社会主義(Democratic Socialism)

民主社会主義は社会主義と民主主義が両立しうるだけではなく、一方なしにはもう一方も確立し得ないと信じる人達を対象にしたイデオロギーである。社会主義と民主主義は一体であり、歌に対する歌詞や詩に対する韻律のように切り離せるようなものではない。よって民主社会主義は職場と政府両方における民主主義に高い価値を置く一方で、商品の生産やサービスの提供に対する労働者の負担の最小化を全面的に信奉している。

一般に民主社会主義者は国有企業と民間の労働者による小規模な協同組合や連合が混在した分権的な市場社会主義経済を信じている。革命家がこのような言い回しをすることは今に始まったことではないものの、民主社会主義は典型的な社会改良主義の混在するマルクス主義とされる。

この種の社会主義の潮流は19世紀から20世紀初頭にかけて欧州の社会民主主義的政党によって開拓され、労働組合や労働者、中産階級から上位中産階級にかけた知識人が主要な支持基盤であった。社会民主主義は徐々に規制的な福祉社会主義に成り代わっていったが、民主社会主義者は今でも人権と民主的投票に基づいた社会主義国家の建設に忠実であり続けている。

社会民主主義(Social Democracy)

社会民主主義は、資本主義の枠組みの内側での活動を望む左派運動の総称である。社会民主主義の推進者は、市場、個人の経営能力、従業員としての他人の管理、金を儲けて使う自由を未だ信じている一方で、広範な社会福祉制度、無料の公的医療保険、ホームレスの保護、良い最低賃金などを提唱している。

社会民主主義は明らかに政治的スペクトルの左端に位置しているが、社会民主主義の支持者と共産主義や伝統的な社会主義のような他の左派思想を持つ人々は基本的に反目しあっており、混ざりあうことも共闘することもめったにない。社会民主主義者は急進的な左翼が主張する革命と体制の抜本的な再構築を主張しておらず、他の様々な民主的イデオロギーを受け入れているのだ。

左翼ポピュリズム(Left Wing Populism)

大衆は富を求め、いつか自らの雇用主のようになれることを望んで世界中で働き続ける。先進国にも不平等と飢餓がはびこり、エリートは民衆の背中を見下ろしながらますます裕福になっていく。そんな状況に「ノー」を突き付ける人もいる。貧困に反対し、飢餓に反対し、そしてなにより貧富の格差に反対する。不正義が蔓延るとき、それは正義にとっての脅威となるのだ。

左翼ポピュリズムは、そのような者たちの属する包括的な思想であるが、一貫したイデオロギーというよりはむしろ幅広い形態をとる運動である。反エリート主義的で左翼的なレトリックを大衆的な経済政策と組み合わせたものであり、このイデオロギーを信奉していると主張する者たちは自らを、貧しく弱い人々を抑圧する経済エリートや体制に反抗している「庶民」の庇護者であると位置づける。しかし、社会主義理論にはあまり重きを置いておらず、一般的にマルクスやレーニンを忌避してジェームズ・コノリーやレオン・ブルムを好む。その最も過激な主張は、政治的・経済的なエリートを根絶し、人民による人民のためのより公正で公平な社会を求めるレトリックであることが多い。そして、努力と運さえあれば、そのような社会を実現することもできるのかもしれない。

左派ケマル主義(Left Kemalism)

ここ数十年の間はトルコにおけるケマル主義とは左派、右派、中道を丸々包含するような一枚岩の存在であった。一方で、ケマル主義が宗教的表現を禁止していることやファシストに影響を受けた政体の支持が広がりつつあることなどから、近年の右派はケマル主義の掲げる西洋の進歩を模倣するという願望から離れつつある。多くのケマル主義者はその対応策としてイデオロギーとアタテュルクの遺産の進歩主義的側面を強調して、ケマル主義を中道ないし左派に再編した上でより大規模な社会福祉へ注力することを目指した。ポピュリズムと改革主義の号令の中、ナショナリズムに重点を置く正統派とは対照的に、左翼ケマル主義者は特定の少数派を疎外するような国家アイデンティティを支持し続けている。

労働シオニズム(Labor Zionism)

「民なき土地に土地なき民を」

労働シオニズムは、シオニスト運動の主要な派閥であると同時に、左派でもある。社会主義と民族主義の双方の要素を取り入れ、ユダヤ民族のアイデンティティを新たに統合しようとするのだ。これは主に都市労働組合、とりわけユダヤ人労働者の大半が所属するヒスタドルートと、労働シオニストの多くが、人類が最も真の社会主義を体現している場所だと誇らしげに自慢する農村コミューン、キブツを利用して行われる。当初、多くの人々は、先住民であるパレスチナ人を「シェラ・ニーラマ(隠れた問題)」だとしていた。しかし、近代的な労働シオニストの間では、「パレスチナ問題」をどう解決するのが最善か意見が分かれており、両民族が民族自決を行える、公平で自由な二国間解決を望む人も多くなってきている。一部は未だ、パレスチナ人をイスラエルの地から追放するというような思い切った解決法を提唱している。そのような者は、パレスチナ人のことを、具体的な民族アイデンティティを持たず、代わりにほとんど汎用の「アラブ人」のアイデンティティのみを持っていると考えているのだ。ごく一部ではあるが、近隣諸国との連邦制を主張する者もいる。

とはいえ、労働シオニズムが単純な信念で成り立っていることに変わりはない。シオニズムが第一、社会主義が第二。

人民戦線(Popular Front)

United we stand, divided we fall(団結すれば立ち、分裂すれば倒る)

人民戦線ほどこの言葉を明確に裏付けるイデオロギーはないだろう。極めて広範に渡る左翼イデオロギーを包含する人民戦線は、反乱主義を当然に抱える筋金入りの共産主義者から民主的リベラル派までありとあらゆる人物から支持を集められる。極端な場合だと保守主義者までが一員になることさえあるがここまで至るのは稀である。一般には人民戦線は現状に重大な変化が生じるかその可能性が懸念される時、各々の陣営が選挙、軍事衝突、その他諸々の為に一時的に互いの違いを隅において共闘するために立ち上げられる。

人民戦線の定義とは内部構成と同じように幅広いものである。人民戦線は脅威に対抗するために最低限の条件(たいてい道徳的なもの)を置いてから立ち上げられる。他の場合では、内部の人間のイデオロギーが社会主義的であったり自由主義的であったり相違するときに、政策や考えに共通項を見出してそれを人民戦線の団結に繋げることもある。全体的な戦略はお互いに団結して投票するという合意、街頭での直接的な行動のときに支援し合うという合意などであり、いずれにせよ強固なものとなる。

人民戦線の目的があまりに多様であることはお察しのことだろうが、人民戦線の正確な定義は困難を極める。このため人民戦線はイデオロギーというよりは政党や特定の集団が自らのイデオロギーを推進するための戦略の一つであると考えるのが適当であろう。

社会急進主義(Social Radicalism)

マルクス主義とそれが生み出したイデオロギーを完全に否定するリベラルもいれば、より合理的な点に共通点を見出すリベラルもいる。結局のところ、平等とは急進派と社会主義者の双方に共通する価値観であり、真の平等の実現のためにはまだ多くの地盤固めが必要なのだ。主流派の急進主義は、原則的にすべての社会主義者と社会主義思想を全面的に否定するが、社会急進主義はそれらとの共通点を見出し、共通の目標に到達するために歴史的対立を脇に置くのである。

社会急進主義者は、平等の確立、欠乏の解消、そしてその二つの目標を助けるための社会制度の高度化を何よりも目指す。どのような形であれ、不平等を解消するために必要な妥協は厭わない。右派からは夢想家、世間知らずと呼ばれる。左派からは、創造力がない、野心がない、大義に対して真の献身をしていない、などと言われる。

政治的スペクトルの両端から受ける軽蔑にも関わらず、社会急進主義は、啓蒙主義が始めた仕事を終わらせるために独自の道を歩み続けているのである。

キリスト教進歩主義(Christian Progressivism)

キリスト教進歩主義はキリスト教民主主義の一種であり、イエス・キリストが説いた正義、寛容、貧しい人々や虐げられた人々への配慮の理想により重きを置いたものである。保守主義とは反対に大きな社会変革を美徳とし、民主主義がキリスト教の価値観を達成するための最善の手段であるという信念を維持し続けているため、他の多くのキリスト教民主主義とは異なる。時に、キリスト教進歩主義者は、聖書が書かれた当時の考えとは対照的な、科学や倫理などの近代的な知見のレンズを通して、キリスト教を解釈することを試みる。経済政策において、キリスト教進歩主義はたいてい中道的だが、状況に応じて左派や右派の考えに傾くことがある。社会的に、キリスト教進歩主義はいつも中道左派であり、特に公民権のような問題に対してそのように振る舞う可能性が高い。しかし、キリスト教進歩主義は依然としてキリスト教的思想に基づいているため、特定の問題には保守派に偏る。キリスト教進歩主義はまた、特定の教義ではなく、キリスト教の価値観と道徳観に重きを置く傾向にある。

左派資本主義(Left Wing Agrarianism)

1917年ロシア革命以前から、世界にはロシア特有の社会主義的な農村指向政治、左派農本主義が知られていた。アレクサンドル・ゲルツェンやピョートル・ラヴロフのような人物から生まれた新たな系統の農本主義思想は、国家の枠組みにおける農業の優先、国家の理想としての農業の振興、平等主義の試みなどといった農業的目標を焦点に置いているが、左派農本主義には、独自の規則が存在する。

ブハーリン主義とマルクス主義の対立から、左派農本主義は日常生活や国家における機能において地方の農民を優先し、彼ら自身を一つの階級として見ている。独特な系統を持つ社会主義は、何度思想的異端者と呼ばれようとも、そのような活動を続けるのである。

自由社会主義(Liberal Socialism)

扇動者や無教養な者は、自由社会主義を見て、「自由社会主義者と進歩民主主義者に違いはない」などといったことを言うかもしれない。それは間違いだ。自由社会主義者は進歩主義者とは異なり、社会主義者を自認しており、少なくとも、社会主義体制の構築を理論的目標に据えている。

自由社会主義の重要な教義は、社会主義の目標を達成するために市場を活用すること、良質の公共サービスの構築を通じた福祉制度を重視すること、国有化に代わって官民関係の拡大を行うことなどである。自由社会主義思想は、60年代から70年代にかけて各国で中産階級が成長し、左派統治に反対することがないままに完全な社会主義への関心を失っていったことにより、発展したものである。

自由社会主義は未だ社会主義であることを主張し続けているが、特に、名目上自由社会主義の政党がリベラル政党の政策と似通っている場合、この主張が問題とされることがある。そのような場合、正統派の社会主義派閥が自由社会主義政党への支持を減少させたり、全面的に反対したりする可能性は十分にあり、結果、多党制民主主義における左翼の中に大きな亀裂が生じることとなるかもしれない。

東海岸進歩主義(Eastern Progressivism)

アメリカの政治スペクトル上で左派に属する者たちのほとんどにとって、フランクリン・デラノ・ルーズベルトは決定的な指導者である。民主党に深く根ざし、信頼できる専門家たちのブレーンとともに、近代的福祉国家の基礎となる様々なプログラムを構築していったのだ。しかし、左派にインスピレーションを与えた人物はフランクリンだけではない。ハイドパークのルーズベルトは、あまりにも体制派的で伝統主義的すぎるという者もいる。腐敗したニューヨークの体制を上り詰める中でそれを変えようと決心した遠縁のテディのような、陽気で予測不可能な例からインスピレーションを得る者もいる。

東海岸進歩主義者は、その例に触発されている者たちだ。東海岸進歩主義は、既成の制度に慣れ親しみ、その上で根本的な変化の必要性を確信している改革者や大衆の擁護者たちのイデオロギーだ。このような運動は、義務感、あるいは政治的な生き残りのために大昔の先祖が築いた制度に対抗する、大物の資本家たちが中心となって行われている。彼らは、社会全体の人々を向上させるため、科学、経済、リベラルな政治思想を発展させていくことが急務であると考えている。

東海岸進歩主義者は西海岸進歩主義者と多くの共通点があるが、いくつか顕著な相違点もある。まず、東海岸進歩主義者は、アメリカのフロンティアの開放性よりも、ニューヨークやボストンのような大規模で確立された、秩序ある都市から刺激を受けてきている。西部に比べると銃社会ではなく、権力中枢が確立されている街からだ。次に、既成権力の中枢に慣れ親しんでいるため、それを完全に破壊することには消極的である場合が多い。東海岸進歩主義者は、制度全体を焼き払うよりも、制度を改修し、新たな集団や民族を取り込むことに重点を置く場合が多いのだ。

西海岸進歩主義(Western Progressivism)

良くも悪くも、アメリカの国家意識はフロンティアと切っても切れない関係にある。西部の大河と大草原は、気力と根性さえあれば、生まれも育ちも関係なくどんな者でも自らの道を突き進んでいくことができるチャンスの土地である。そして今、アメリカ西部は、万人のための自由と正義という信条を真に実現しようとする最新の試み、西海岸進歩主義の震源地となっている。

東海岸の進歩主義者たちが、変革の名の下でアメリカの伝統的制度や権力者と妥協する方向に向かい始めてから久しいが、西海岸進歩主義者はその現実主義を嘲笑する。彼らは、企業からマシーン政治、職業政治家に至るまで、従来の政治権力構造は全て、権力者が一般人を押さえつけるための道具に過ぎないと考えている。西海岸進歩主義者は、密室政治に没頭するワシントンの政治家よりも、自らの方が人々の意思をより忠実に代弁していると評価する。しかし、この真正性には、統一性や目標の欠如、そして政治的成功のために必要な妥協の拒絶が伴うことがある。

今、西海岸進歩主義は、国民進歩連盟の進歩党派に居場所を見出し、人種的・階級的不平等の遺産を永遠に一掃する、新たなアメリカ革命を主導しようとしている。西海岸進歩主義者は、アメリカ社会の不平等とワシントンの腐敗に対する民衆の幻滅の波を、ホワイトハウスまで押し上げたのだ。しかし今は、扇動だけでなく、統治も行わなければならない。この新世代のアメリカンドリームは、最終的に国を良い方向へ変えることができるのだろうか。それとも、彼らが破壊を誓ったものに成り下がってしまうのだろうか?

ガイタン主義(Gaitanismo)

ロンビアにとってのガイタン主義とはイデオロギーではなく、ラテンアメリカの新たな国家の理想そのものであり、地域全体の左派政治家に啓示を与えるものだ。

ホルヘ・エリエセル・ガイタンの政界進出によって生まれたガイタン主義は、自由社会主義、強硬な反ファシズムの人民主義、ボルシェビズムに代わる民主主義として登場した。ガイタン主義は、その社会的決断において折衷的であり、可能な限り幅広い層に広がり、社会のあらゆる段階で民主主義を拡大することを目的としている。

ガイタン主義は、資本家階級と無産階級に代わる存在として国民国家と政治国家という概念を持つ。前者は国民、後者は寡頭的なエリートだ。国民国家は政治国家を打倒して国家の下で一つにまとまり、所有者と労働者が平和的に妥協する、真の自由民主主義を創造せねばならない。外資を歓迎する社会主義的経済政策と民主主義を強化する改革が、ガイタン主義の特徴である。地政学的には、米州主義、すなわち革命的改革に資金を提供するためにOFNや他の自由民主主義諸国との協力を求める立場に立っている。

ガイタン主義がコロンビアにもたらしたのは、平和と国際的称賛の4年間の黄金時代だった。創設者の殺害とラ・ビオレンシアの混乱は、ガイタン主義の炎をさらに輝かせた。その成功の遺産はコロンビアだけでなく、ガイタンの炎のような演説が跡を残した場所であればどこでも取り戻すことができる。

空想的社会主義(Utopian Socialism)

空想的社会主義は、この種のイデオロギーとしては最も初期のものであり、長年にわたって左翼の愛着と侮辱の標語として使用されてきた。もともと18~19世紀初頭に開拓された空想的社会主義は、階級対立を嫌う明確な思想と、人類と社会全般の完全性を信じる信念の両方に基づいている。地域共同体の創設、特定の商品や公共事業の国有化による産業の効率化、あるいは単に政府や地域の介入による社会全体の底上げに対する道徳的信念など、空想的社会主義は、人類全体が資本主義が現在提供しているものよりも高い生活水準に引き上げられると信じている。

空想的社会主義者とマルクス主義者の最大の違いは、階級闘争や革命を明確に嫌っていることで、その代わりに、すべての階級が納得してそのような体制に従うと信じている。これは、マルクス主義の唯物論的世界観や、政権を獲得するために労働者階級の連合を作ろうとする、より現実的な社会主義者と対立するものである。ほとんどの空想的な実験は失敗しているが、多くの人々は、いつか完璧な人間性の体制ができ、全人類がより新しく、より良い世界の栄光に浴することができると信じて、実験に固執している。

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