[The New Order:Last Days Europe] 広東国

TNO資料
Pocket

概要

江東国国旗
両広国国旗

国名:広東国/両広国(西方反乱勝利後)

タグ:GNG

言語:北京語/広東語/日本語/英語

首都:広東

イデオロギー:企業国家主義(ファシズム)

陣営:大東亜共栄圏(経済特区)

国家元首:鈴木禎一(代表取締役社長)

政府首班:松沢卓二

建国:1940年代


解説

プレイアブルコンテンツ追加時に加筆予定



政治勢力

広東民政府

割合:30%

政党イデオロギー:ファシズム

政党指導者:鈴木貞一

支持率:30.00%


立法会・財界派

割合:60%

政党イデオロギー:専制主義

政党指導者:松沢卓二

支持率:60.00%


立法会・民生派

割合:10%

政党イデオロギー:権威民主主義

政党指導者:盛田昭夫

支持率:10.00%

指導者/政府首班/閣僚一覧

鈴木貞一

概要

名前:鈴木貞一

役職:広東国の国家元首/大日本帝国の潜在的な経済大臣

政党/政府:広東民政府

生年月日:1888年12月16日(73歳)

国籍:日本

イデオロギー:企業国家主義(ファシズム)

解説

鈴木貞一は日本陸軍の将校であり、元内閣参謀本部長官として、戦時中の日本経済の構築とその後のアジアにおける日本新秩序の経済計画に深く関わってきた。1943年から貴族院議員として活躍した鈴木は、猪野首相から広東省の次期行政長官に指名され、中国での経験、軍事的コネクション、経済的専門知識を駆使して、広東国の企業を東京の意向に沿わせることを目指した。

広東省の自由奔放な経済運営に対する彼のハンズオン、国家主義的なアプローチは、最小限の干渉で広東国を運営することに慣れた広東4社にとっては不都合である。しかし、長年にわたる東京の監督不行き届きと、猪野首相の指示による安田銀行のバックアップによって培われた腐敗文化は、鈴木にとって、今のところ4社を足並みを揃えるのに十分なものである。

鈴木の目には、欲に目がくらみ、義務を忘れ、その結果どうなるかということに無頓着な領域が映っている。広東省の中国人に特別な感情を抱いているわけではないが、(満州国のように)東京から強力な警備体制を維持するための資源がなければ、中国の反体制活動に対して裸の弾圧は持続可能な解決策にはならないことを痛感している。日本のために、鈴木は新しい広東の礎を築き、大企業とその経営者たちを屈服させる。


松沢卓二

概要

名前:松沢卓二

役職:政府首班(鈴木内閣)/国家元首(鈴木路線)

政党:立法会-財界派

イデオロギー:企業国家主義


解説

松沢卓二でなければ、「まな板の上の鯉」とでも言うべきだろう。安田銀行が東京で債権者、政界、マスコミに取り潰され、松沢は広東国で会社の整理をするだけで手一杯だった。

松沢は日本政府から正式に任命されたわけでもなく、東京との連絡も絶たれたままだ。安田が倒れた余波と東京の政治的混乱で、財政は大赤字となり、投資家は怖気づき、地元住民は減った賃金を取り戻すために犯罪や悪徳商法に走った。そんな中、残った大物たちは、甘い言葉と都合のいい「計画」で地位を争い、一段落したら自分たちが最高経営責任者になることを目指しているに違いない。

松沢は、広東省に赴任したのは、自分を陥れる悪徳集団の仕業だったのだと割り切っていたが、彼らの策略によって、自分のライフワークが粉々に崩れ去ってしまった。どんなに無実の罪を着せられても、もう取り返しがつかない。自分が死んだようなもので、幕が下りるまで、すべてをやり遂げるしかない。


盛田昭夫

概要

名前:森田昭夫

役職:外務秘書官(松沢,松下内閣)/国家元首(松沢路線)

政党:立法会-民生派

イデオロギー:立法会-民政派

解説

“広東のガテン系” “財閥と闘った男” “日本の洗脳者” 盛田昭夫は多くの異名を持つが、そのどれもがある意味真実である。大阪帝国大学卒業、戦時中は日本海軍の研究班に所属していたエリートでありながら、1952年、東京通信工業の買収をめぐってかつての友人・井深大と対立し、広東国に漂着した。

盛田は、1950年代に広東省に渡り、長江企業の李嘉誠(りかせい)と共に、回路図だけを頼りに、高級AV機器を広東国と中華人民共和国に売り込み、出世街への階段を上っていった。

1960年、ソニーが四社に加盟すると、盛田は広東国を経済大国に、そして珠江をより良い場所にするために、改革の旗振り役として奮闘することになる。

日本人の影に隠れていた10年間、盛田と李は、広東省が生き残るためには、単なる企業の遊び場ではなく、人々が故郷と呼べるような場所にならなければならないと確信している。しかし、広東国に住む日本人の中には、盛田が成功すると思っている人はほとんどいない。むしろ、盛田が日本人に反論するどころか、挫折から立ち直ると思っていた人の方が少なかった。しかし、盛田はもう止まらない。


松下正治

概要

名前:松下正治

役職:財務長官,経済大臣(鈴木内閣)/政府首班(松沢,井深内閣)/外務長官(盛田内閣),国家元首(松沢路線)

政党:立法会-財界派

イデオロギー:企業国家主義

解説

松下正治は、日本を代表する電機メーカーの後継者として、多くの人に魅力的な人生を歩んできたと思われている。松下電器の創業者である松下幸之助の娘と結婚するために、住友銀行の金融マンとしてのキャリアをあきらめた。

松下幸之助が大阪で会社を率いる一方、正治は1960年から会社の運営責任者となり、甲州の事務所から中国進出を監督している。創業者の息子であり、会社経営と行政を兼務している正治には、将来への不安はないように思われた。しかし、彼の親しい知人たちは、そうではないことを知っていた。

技術者でもなく、営業マンでもない松下正治は、自分が松下でも広東でもアウトサイダーであることを痛感していた。立法院で綱渡りをしているうちに、いつになったら松下政経塾の経営を任されるのだろうかと、二人の松下は年を追うごとに疎遠になっていった。そして今、広東省の行政長官として、松下が珠江デルタに文字通りの帝国を築き上げると約束したことを、同僚や養父など、周囲の反対勢力に示す機会を得たのだ。


井深大

概要

名前:井深大

役職:外務長官(鈴木内閣)/長官官房(松下内閣)/財務官(松沢内閣)、国家元首(松沢路線?)

政党:立法会-財界派

イデオロギー:企業国家主義

解説

井深大の才能と飽くなき探究心、そして限りない野心と政財界の識見に匹敵するものはいない。しかし、井深の野心と政財界の才覚にかなう者は、まずいないだろう。

井深は、東京通信工業の創業者であり、かつての友人であった盛田昭夫を追放し、富士通電機を吸収合併してその支配権を固め、富士通は珠江に事業を拡大することになる。井深は、広東省のラジオ市場の支配権をめぐって、盛田のソニーと伝説的な法廷闘争を繰り広げることになる。

しかし、そのような時代も過去のものとなった。安田危機で鈴木政権が崩壊した後、井深は再び富士通を支配下に置いた。今、井深は広東国の盟主として、「電子化、デジタル化した新しい世界」というビジョンを実現するための自由を手に入れた。

井深は、東京の株主や経営陣の意向に左右されることなく、未来を見て新しい明日を切り開くことができる。井深は、広東国をキャンバスに、ただひたすら野望に燃えている。


駒井健一郎

概要

名前:駒井健一郎

役職:外務秘書官(井深内閣)/国家元首

イデオロギー:改革官僚

解説(外務秘書官)

井深政権の顔として、立法院に招かれたばかりの日立製作所の駒井健一郎が選ばれたのはなぜだろう。駒井は、広東国の自由な企業生態系の中で、満州の国営経済の代理人として、すでにアウトサイダーと見られていたのである。井深は駒井のことを信用していない。しかし、駒井の資産を手元に置いておきたい。井深は、駒井のことを信用していないわけではない。しかし、駒井が広東国の政界に再び足を踏み入れるよりはマシだと考えている。駒井の効率と利益を重視する考え方は、満州独特の残虐性をもってしても、井深には理解できる。


李嘉誠

概要

名前:李嘉誠

役職:書記長(盛田内閣)

イデオロギー:企業国家主義

解説

李嘉誠は、広東国で唯一の純中国人による大企業家でありながら、その出自は質素である。小学校を中退し、工場を経営していた彼が、広東省珠江市の中国側代表となるとは、誰も想像しなかっただろう。

小売業、流通業、軽工業、不動産業などを営む巨大コングロマリット、長江集団のトップとして、李は広東省での盛田の成功と密接に関わり合ってきた。1950年代のビジネスパートナーから、李の新産業進出に伴う正式な提携に至るまで、2人が政治的な盟友であることは広東省の公然の秘密であり、李は中国・竹島の人々の動向を把握し、盛田は日本人駐在員に対して改革案を説いている。

コメント

タイトルとURLをコピーしました